田川定慈のプロフィール

代替医療研究家 田川定慈プロフィール

生年月日   1954年1月22日
血液型   B型 Rh+
座右の銘   人間万事塞翁が馬
趣味 読書 料理

すきな作家は司馬遼太郎先生、池波正太郎先生、津本陽先生など他にも撃剣物が大好きです。中国の歴史小説もよく読みました。

料理は40歳代までは中華料理が主でした。人に食べていただいて好評なのは東坡肉、麻婆豆腐、炒飯、八宝菜、チャンポン、ラーメンなどですが、最近では和食好みとなり お煮しめ、お浸しなどはよく作ります。ほかにカレーも好評です。

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生い立ち

1954年熊本県天草郡にて、田川家の次男として生まれる。出産時は横位という難産で仮死状態のまま生まれてきたそうです。産婆さんの手におえず、駆け付けた町立病院の医師が私を逆さ吊りにして背中を数分間叩いてくださったお蔭で産声をあげることができたそうです。まさに、お医者様のお蔭で命を得たわけです。

その後、成長して高校、大学は工学部機械工学科で学び、卒業後は大手の設備機械メーカーで産業用ロボットなどの設計をしておりました。

昭和54年7月31日、実兄が劇症肝炎にて急遽入院。8月4日死亡(36歳)。スポーツで身体を鍛えた実兄でありましたので過信がありました。5日間の看病を通して、人生に対する考えが大きく変わり始めました。病気は油断や楽観、過信が大敵、予防こそが一番だと。

しかし実際に苦しまないと分からないもので、20代の時に読んだ韓国人実業家が書いた本の中に「出世したければ3人前の食事を採れ」と書いてあったのを大義名分として、暴飲暴食を重ねていました。

また、土日以外は出張による外泊、外食の繰り返しをしており、30歳で脂肪肝、34歳の時右側頭部脳梗塞となり、会社では休むことが許されず、検査は病院で行ないましたが、薬品に頼ることなく自分なりの方法で治癒し回復しました。

その後も油断や楽観があり、52歳の時、インフルエンザで病院にかかったのがきっかけで、糖尿病の疑いが出て、専門医で検査したら糖尿病の診断を下されました。
病院からいただく医薬品を飲むのがいやで、自力で克服して54歳の現在を元気で仕事に邁進しています。

また私の父は63歳で心筋梗 塞となりましたが一命を取り止めました。祖父も当時の病名では心臓麻痺で誰にも気付かれないまま中庭で死亡しています。
おそらく今でいう心筋梗塞だと考えられます。私もその遺伝子を受け継いでおり狭心症であることは、確定的であります。

父は退院後は自分が経営するラーメン屋の出前持ちを80歳までしており(長男が死亡して跡継ぎがいないので)84歳で死亡した日は朝から自転車で郵便局や農協を廻り昼食のため食卓の椅子に座る時「おっとっと」と言って尻餅を搗く状態で逝ってしまいました。

お通夜や葬儀にはそれぞれ約200名の方々が、おいでくださいましたが、皆様おっしゃることは「お父様のような最後に成りたいですね」という言葉でした。

田舎のラーメン屋の店主に過ぎなかった父が地域の多くの人達からこんなに愛されていたとは、死なれてみて初めて知りました。

私も父の生活ぶりをお手本として、父の様な人生を送るよう日々精進しております。

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